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複雑性PTSDから回復するまで〜心療内科通院日誌〜
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適正体重、基礎代謝、目標カロリーを計算することが出来ます。 大人の発達障害者にも適切な支援を
プロフィール
HN:
Nobody
HP:
性別:
非公開
職業:
障害年金生活者
趣味:
アロマテラピー
自己紹介:
幼児期からの長期的虐待と、学校でもイジメが繰り返され複雑性PTSDに。8歳,鬱発症。6歳,11歳,自殺未遂。不登校,ひきこもり。などなどイロイロやらかしてます。AC(アダルトチルドレン)、AS(アスペルガー障害)、精神科入院経験多数。人間不信。精神医療も信用できません。コミュニケーション不全、社会適応困難、デイケアや作業所ですら適応できません。自分は絶滅種の生き残りではないかというな気がしています。同族は一人もいません。公費負担にてメンクリ通院中。

複雑性PTSD:
PTSDが単発であるのに対して、複雑性PTSDは長期的反復的な心理的外傷による精神障害。症状は複雑で多彩。

AC(アダルトチルドレン):
機能不全家庭で育ったことが原因で、生きにくさを感じる成人の、自覚の呼称。医師から下される診断ではない。

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余計な買い物、衝動買い、無駄遣い、しちゃうのが辛い。最近どうでもいいものを買って失敗しちゃう。自分でなかなかセーブできない、軽い買い物依存のような状態じゃないかと思う。総額が5万で済んでいるけれど、昔はもっとひどかった。

5万ていったらさ、大金なんだ。そんな無駄遣いしたくなかったのに、後悔先に立たず。買い物依存症っていうのを知ったのは、大人になってからだったが、子どもの頃から、あったことを知っている。気づいたのは12歳くらいだったと記憶している。
私はどうしても欲しいと思って、何年も親にねだって買ってもらったはずなのに、手に入った瞬間、全く興味を失い、それがガラクタ同様にしか感じなくなり、その変化にショックを受けた。不思議な感覚だった、そしてその時、私はモノが欲しかったのでなく、愛情が欲しかったのだと気づいた。

けれど、その時はその気づきを隠蔽したかった。そして再び「それ」に直面しなくてはならなくなったのは、16の時だった。似たようなことが起こり、欲しくてたまらなかったはずのモノは見るのも嫌なモノになり、私はそれを押入れに隠した。そしてまたもや隠蔽しようとしたのだった。

もしかしたら自分は精神的におかしいのでは?と中学の頃からかんじていた。中学時代は、イジメ被害にあい不登校をし、親ともうまくいかず、自室に篭城していた。カーテンも締め切り、部屋は真っ暗だった。引かれるかもしれないが、トイレも篭城した自室のゴミバコで用を足していた。

そして買い物に関する2度目の体験をした、高校生のこの時、私は不眠症ではじめて病院からもらった睡眠薬を飲むことになった。精神科受診は小学校の頃がはじめてで、それは恐怖の体験だった、両手首を二人の看護婦につかまれ、床をひきずられた記憶、トラウマになっている。

けれど私はこのとき、自分がすでにキチガイになっていたなんて、考えもしなかった。なぜなら、中学の時自律神経失調になって歩けなくなったとき、頭がおかしいかもしれない?と思って親に相談したら、普段は私をキチガイと呼んでいるのに「キチガイは自分がキチガイだってわからなんだ、だからお前はキチガイではない」と否定されたから。

「それに精神的なもの=しっかりしてないだけ」信仰を刷り込まれていたので。メンタルな病気かもしれないということを、あまり考えなくなっていた。結局、高校も2年目から不登校ぎみになり、3年目の冬休みになる前からふたたび不登校気味になり、休みが明けてからは再び引きこもる生活になった。苦しかった。

進学と上京に関しても、親子間では、異常な事態があったが、家にいたくないために、東京に親が勝手に決めた住居へ引っ越すことを決意した。親が決めたものの中から選ぶしかなかった。AかBか、私の自由意志は認められない。そこは牢獄だった。徒歩1分の目先にあるコンビニへいくにも、いちいち電話して親の許可がいる。

もし電話せず勝手に買い物に出かけている間に、運悪く親から電話がかかってきて、私が電話に出られないと、母は異常な怒りを爆発させた。それが恐ろしかった。20歳の年、成人式に出ることは禁止された、母からもらった言葉は「もう大人になったんだから、これからは親の言うことは1から10まですべてハイと答えて、言うことはすべて聞かなくてはだめだよ、いいね・・・」

私は今度は親に秘密で3度目の巨額の買い物をした。ローンで・・・

そして檻の中で、私はさらに狂っていった。

逃げればいいのに、逃げられないと思い込んでいた。

バイトは禁止、親は私を監視するために、人を使うような人だったから、バイトが見つかって地獄(=実家)へつれもどされるのではないか?と思うと、恐ろしくてバイトも出来なかった。コミュニケーション不全だから働くこともままならなかったろうが。

それが母の、恐るべき、娘への愛なき執着と、自分から離れていかないようにするための経済支配であることを、知ったのは、それから10年もしてから、本格的に気が狂って精神化通院をはじめたときだった。「経済支配」の話をされても、私は最初ピンとこなかった。

実家にいたころ、たびたび語りかける母の言葉が脳のどこかで鳴り響いていた。

おまえは結婚なんてしないわよね。

ずっと家にいるわよね、お母さんと一緒に・・・
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