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複雑性PTSDから回復するまで〜心療内科通院日誌〜
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プロフィール
HN:
Nobody
HP:
性別:
非公開
職業:
障害年金生活者
趣味:
アロマテラピー
自己紹介:
幼児期からの長期的虐待と、学校でもイジメが繰り返され複雑性PTSDに。8歳,鬱発症。6歳,11歳,自殺未遂。不登校,ひきこもり。などなどイロイロやらかしてます。AC(アダルトチルドレン)、AS(アスペルガー障害)、精神科入院経験多数。人間不信。精神医療も信用できません。コミュニケーション不全、社会適応困難、デイケアや作業所ですら適応できません。自分は絶滅種の生き残りではないかというな気がしています。同族は一人もいません。公費負担にてメンクリ通院中。

複雑性PTSD:
PTSDが単発であるのに対して、複雑性PTSDは長期的反復的な心理的外傷による精神障害。症状は複雑で多彩。

AC(アダルトチルドレン):
機能不全家庭で育ったことが原因で、生きにくさを感じる成人の、自覚の呼称。医師から下される診断ではない。

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AC(アダルトチルドレン)は、愛って何だか分からない、と思う人が多いのではないだろうか。そんな言葉はよく耳にするし、私もそう感じる。幼い頃、愛された経験がなければ、大人になって人を愛するときも、なんらかの困難さを抱えて悩むようになることは、よくあることだと思う。

愛、愛情、の問題を抱えたACに、よく説教する人がいる。

「まず自分から愛さないと、愛されないんだよ」
「愛は与えるものだ、貰うんじゃない。与えた分だけ返ってくる」

これに私は違和感を感じる。
そもそも、愛が何かわからないのに、わからない何か(愛)を与えろと言われても、無理があると思う。それは、お金を見たこともない人に「あなたがお金を払わないと、食べ物は買えないのよ」と言っているのと似ているような気がする。

もちろん愛とお金は同一ではない。だが、まるで愛を得るために、先に愛を支払うべきだと言っているかのように聞こえてしまうのだ。そういう時の愛は、愛なのだろうか?だとしたら、どのような愛だろうか?

生まれたばかりの子どもは、愛を求めて泣き叫ぶ。赤子は何も持たずにこの世に生れ落ち、与えることを知らず、ただ求めて泣く。赤子は与えられるという経験を通して育ち、人に与えたいという与える愛の衝動(欲求)が、人のなかで育っていくのではないだろうか。

そして内側から溢れ出るのが愛ではないだろうか。これが、とくに見返りを必要としない愛だと思う。愛が自分の内側から溢れ出ているのだから、見返りがあるかないか、関係なく。そもそも気にとめることもないだろう。溢れ出る愛は、それそのもので満たされているのだから。

そのことに対して

「与えた分だけ、返ってくる」
「自分から愛さないと、愛されない」

これは「見返り」の愛であり「条件つきの愛」になるのではないだろうか?それは「あなたが愛してくれないから、愛するつもりはない」と言っているように聞こえてしまうのだ。これは極端になると「奪う愛」にもなるのではないかという気がする。

愛は投資ではない。

「与えた分だけ返ってくる」

と考えた瞬間、期待した見返りが得られなかった時、不満が噴出するのではないだろうか?溢れ出る愛は、その対象に、愛が流れ込み、相手の愛を刺激して、その相手の内側からも愛をあふれ出させる。そうして与え与えられる関係が、自然と生まれるのが愛のかたちなのではないかと思う。


愛がなんだか分からないACの私の、これはただの理屈にすぎないが、こんなふうなことを考えている。



これは某SNSのコミュに書き込みしたものを一部修正してUPしました。
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