複雑性PTSDから回復するまで〜心療内科通院日誌〜
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プロフィール
HN:
Nobody
HP:
性別:
非公開
職業:
障害年金生活者
趣味:
アロマテラピー
自己紹介:
幼児期からの長期的虐待と、学校でもイジメが繰り返され複雑性PTSDに。8歳,鬱発症。6歳,11歳,自殺未遂。不登校,ひきこもり。などなどイロイロやらかしてます。AC(アダルトチルドレン)、AS(アスペルガー障害)、精神科入院経験多数。人間不信。精神医療も信用できません。コミュニケーション不全、社会適応困難、デイケアや作業所ですら適応できません。自分は絶滅種の生き残りではないかというな気がしています。同族は一人もいません。公費負担にてメンクリ通院中。
複雑性PTSD:
PTSDが単発であるのに対して、複雑性PTSDは長期的反復的な心理的外傷による精神障害。症状は複雑で多彩。
AC(アダルトチルドレン):
機能不全家庭で育ったことが原因で、生きにくさを感じる成人の、自覚の呼称。医師から下される診断ではない。
★このブログはリンクフリーです。ご自由にどうぞ。
複雑性PTSD:
PTSDが単発であるのに対して、複雑性PTSDは長期的反復的な心理的外傷による精神障害。症状は複雑で多彩。
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機能不全家庭で育ったことが原因で、生きにくさを感じる成人の、自覚の呼称。医師から下される診断ではない。
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というのは本気じゃないが、いや半分本気かもしれない。
とうとう師走さんの到来。年末ってのは毎年、切ないような妙な気分になる。毎年この時期は鬱っぽくなるが、この年末は久々にキツイのが来たらしい。何故?というほど、何時になく酷い。そしてどの抗鬱剤も合わない。
まる一日布団の中ということも珍しくなくなってきた、部屋からでれないならまだしも布団から出れない、寒いからじゃなく、心身しんどくて起きれないのだ。そしてパジャマのまま布団の中で再び夜を迎える。
辛い。この鬱はルジオミールという気がする。ストックなし。しばらくルジオミールは処方されておらず、ストックしておいた3年前のやつはもう飲むこともないだろうと、秋の大掃除の頃、捨ててしまったのだ。
診察までなんとかするしかない。フラワーレメディとアロマを使うか。ハーブはSt.ジョンズワートは効く感じではない。鬱以外の症状にはとりあえず甘麦大棗湯が、なんとか効いてくれている。眠剤はエバミールくらい。
ただフラワーレメディは、副作用がないぶん安心して使えるが、こういう病的な鬱にはあまり期待できないように思う。どの薬でも効果がない時、意外とこういうものが功を奏す場合があるが、今回のこの感じは違う。
ケミカル様に頼るしかない。それもルジオミールだ。こんなに苦しいのにもかかわらず、なぜかルジオミールが映像として脳内に浮かぶのだ。これを飲めばよくなると、脳が必要として私にメッセージを送っているような気がする!(怪)
変な表現だが、まるで薬物依存症者が、最初の離脱の苦しみのなかで、何を摂取すれば苦しみから解放されるのか、思い浮かんでしまうのと似ているように思う。ある種類の鬱を経験し、それが特定の抗鬱剤で改善されたとき、脳はそれを記憶するのではないだろうか。
だから再び同じ種類の鬱の危機に陥った時に、そこから脱出すべく、何を摂取すべきか、その映像を意識上にのぼらせるのかもしれない。体が欲しているものを、たとえばビタミンCが欲しいとき、自然とオレンジなどが思い浮かび、食べたいと思うように。
人間というより、動物的なものに近いのかもしれない。
とかね?
そういうことを連想しだすと少しの間だけ鬱を忘れられる。
とうとう師走さんの到来。年末ってのは毎年、切ないような妙な気分になる。毎年この時期は鬱っぽくなるが、この年末は久々にキツイのが来たらしい。何故?というほど、何時になく酷い。そしてどの抗鬱剤も合わない。
まる一日布団の中ということも珍しくなくなってきた、部屋からでれないならまだしも布団から出れない、寒いからじゃなく、心身しんどくて起きれないのだ。そしてパジャマのまま布団の中で再び夜を迎える。
辛い。この鬱はルジオミールという気がする。ストックなし。しばらくルジオミールは処方されておらず、ストックしておいた3年前のやつはもう飲むこともないだろうと、秋の大掃除の頃、捨ててしまったのだ。
診察までなんとかするしかない。フラワーレメディとアロマを使うか。ハーブはSt.ジョンズワートは効く感じではない。鬱以外の症状にはとりあえず甘麦大棗湯が、なんとか効いてくれている。眠剤はエバミールくらい。
ただフラワーレメディは、副作用がないぶん安心して使えるが、こういう病的な鬱にはあまり期待できないように思う。どの薬でも効果がない時、意外とこういうものが功を奏す場合があるが、今回のこの感じは違う。
ケミカル様に頼るしかない。それもルジオミールだ。こんなに苦しいのにもかかわらず、なぜかルジオミールが映像として脳内に浮かぶのだ。これを飲めばよくなると、脳が必要として私にメッセージを送っているような気がする!(怪)
変な表現だが、まるで薬物依存症者が、最初の離脱の苦しみのなかで、何を摂取すれば苦しみから解放されるのか、思い浮かんでしまうのと似ているように思う。ある種類の鬱を経験し、それが特定の抗鬱剤で改善されたとき、脳はそれを記憶するのではないだろうか。
だから再び同じ種類の鬱の危機に陥った時に、そこから脱出すべく、何を摂取すべきか、その映像を意識上にのぼらせるのかもしれない。体が欲しているものを、たとえばビタミンCが欲しいとき、自然とオレンジなどが思い浮かび、食べたいと思うように。
人間というより、動物的なものに近いのかもしれない。
とかね?
そういうことを連想しだすと少しの間だけ鬱を忘れられる。
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